1986年夏、日本はバブル景気の真っ只中あちらこちらにフィリピンだ、タイだのお店ができ始めていた頃であった。工業高校を2年生で辞めてから、13年が経って俺も30歳になっていた。20歳で結婚した女とは23歳で別れ、それからはやけくそ気味で生きてた時代だった。定職は無く、30歳当時はタクシーのアルバイト運転手だった。バブルの日本に出稼ぎに来てるタイの女が自分のタクシーによく利用してくれて、たまに料金を払ってやったりするうちに、タイ人の源氏名、菜々ちゃんとお友達になったのだった。菜々ちゃんとは売春婦と客という関係だったが、たまに無料でエッチをさせてくれたりしたのだ。バブル当時でも、自分はタクシーの稼ぎが悪く、いつも15万円程度しか稼げないから、タイの店で女を買うと5万〜6万は使うので中々行けなかった。菜々ちゃんはよく僕のアパートに遊び来てくれて、タイ料理なんかを作ってくれたりした。キュウリで作ったソムタムはよく食べた。最初ナンプラーやパクチーが超嫌いだったが、タイ人と付き合ううちに徐々に食べれるようになった。そんな蜜月も菜々ちゃんのビザが切れるのと同時に終りがきたのだった。当時はタイ人も日本のビザ取得が簡単に出来、きちんと帰国すれば、またビザを貰い日本に来ることが出来たのだった。菜々ちゃんが帰国してからは、何もやる気が出なくて、仕事も行かずに部屋で朝から飲む日が続いた。当時も今も貧乏には変わりはないが(笑)当時、僕は家の電話が無く公衆電話からバンコクの菜々ちゃんに電話をかけたのでした。凄くアナログ的な毎日でした。KDDの国際カードをタイ料理屋で買い、今は滅多に見られなくなった緑の公衆電話からかけた。千円のカードは直ぐに無くなり、残念に思ったものだ。まだ、携帯電話は出てなかったと思う。それから、3ヶ月か4か月が過ぎて、菜々ちゃんが再び日本に帰ってきた。菜々ちゃんは、決して美人じゃないけど、男心を理解してて、僕の心をよーく掴んでいて、菜々ちゃんの思うツボの男へと変身するのだった。そんな菜々ちゃんとも2年位して別れたのだった。そのあとは彼女の妹と付き合うことになり
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